挨拶の勇気

挨拶とはなんですか。ウィキ先生に聞いたら、新たに顔を合わせた際や別れ際に行われる礼儀として行われる定型的な動作のことだとわかりました。小さい頃から、「知人に会ったらちゃんと挨拶しなさいね。そうしなくては失礼になるのよ」と、家族はそう教えてくれました。でも、隣のおばさんに会って、目線が合って、そのまま何秒ずっと見つめ合って、一言も発せず、おばさんも僕もそれぞれ帰ってきました。家族がお隣さんからそのことを聞いたら、「すみません。うちの子、恥ずかしがり屋だから」と答えました。

恥ずかしがり屋?そうかも知れませんね。小学に入ったら、クラスのお世話をしてくれる人、つまり班主任に叱られました、「声小さいすぎ!笑顔は?」と。そして、先生やクラスメートに会ったら、すぐ見なかったふりをして、逃げています。でも逃げられない時もあります。その世話人に見つかってしまいました。「あんた先生にさえできなければ、文明弁の指導者さんが来たらどうするつもり?」

当時、福州が既に「文明城市」(マナー正しい人が集まっている町という意味)に何回かなっていたが、これからもなるように、どこでもきちんと準備しておきました。城市精神、つまり町のスローガンと言われた文の意味も分かりました。「海、百の川をおさめ、容のだいなる有り」と。校長も朝会で、「知人にも知らない人にも、先生こんにちはとちゃんと挨拶しなさい」と指示してくださいました。子供同士、「あの連中は、あちこち人をつかまえて、おいスローガン言ってこらと命令してる」という噂もありました。僕は、スローガンなら答えられるけど、挨拶は全然無理。もし指導者同士に合う人が僕なら、この学校、この街はまさか僕のせいで不文明になりましたか。

放課後、僕はスタスタと図書室へ行きました。その時うちの学校は図書館なんてありません。あったのは図書室だけでした。マナーを教える本を見つけました。「ア=明るく笑顔で大きな声で」、「イ=いつでも誰にでも」、「サ=先に自分から」、「ツ=続けて伝える」と。さすが見事な挨拶。あの時見つかった本にあるのはそんなに簡潔ではないが、かなり分かりやすいでした。そういう見事な挨拶を見事に行える人は委員長だけでした。委員長はかわいいし、成績が高いし、学校のチンピラも怖がらないし、物分りもいいでした。彼女のことが好きだったが、挨拶というファーストステップをずっと踏み出していなくて、結局、彼女が他の人と告白してしまいました。挨拶しても必ずしもカップルになれるとは限らないけど、挨拶しなければ100%できないんです。この本を読んで、闘志に燃えました。

明日指導者が来ると言われました。廊下で世話人にあうと、明るく笑顔で大きな声で「こんにちは!」と言ってしまいました。笑顔はちょっと変だったかもしれないが、先生はびっくりして、すぐに行きました。「なら失礼なほうは先生だ」と思って陽気にクラスに入りました。クラスメートはその時、お互いに挨拶しています。実はふざけていただったけど。クラスのみんなと一人一人挨拶してあかんべえをする人もいました。僕もこれをきっかけに委員長にちゃんと挨拶しました。委員長も「こんちゃ」と言ってくれました。

授業の前に、世話人は「今日は外に出ないで。指導者さんはクラスに入りたがるかもしれないから、もしここに来たら、ちゃんと挨拶しなさい」と言いました。世話人が来たら僕は絶対に委員長の前にちゃんと挨拶してスローガンを言えるから大丈夫。

でも指導者らしい人にはずっと会わなくて、福州も無事で文明城市になりました。良かった。

僕はこの後、自然な挨拶はあまりにもできなくて、今でも挨拶苦手だが、ある見事な挨拶の仕方を教える文章を読んだことをきっかけに、こういうことを思い出しました。見事な挨拶より、挨拶する勇気を出すほうは大事でしょう。


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